有限会社 フクハラファーム(滋賀県彦根市)
代表取締役 福原昭一さん(50歳)
■集落営農の復活が進む中での大規模経営
福原昭一さん(ブロッコリー畑で) |
2005年で、経営面積は100ha。水稲65haに転作麦と大豆を各35haずつ(表と裏で)栽培した。台風に直撃されたり異常高温に泣かされたりと、ここ数年の作柄は落ち込んでいたが、05年は「大過なく、平年作以上の出来」を得た。だが「依然として米価の下落に歯止めがかからないのはどこも同じ。苦しいことに変わりはない」。
土地利用型作物全体の6割近くを直接取引ベースでさばいており、言うまでもなくそれらは自分で値決めする。このためJA集荷に比べて確かに高くはなるが、それでも全体が下がっているのだから「こちらも下げざるを得ない」。ひと昔前は「苦しくなくても苦しいと言っていた(笑)が、いまは本当に苦しい」。
時代が昭和から平成に移り、サラリーマンを辞めて専業農家に転じた。翌年から生産を本格化させるが、スタート時点で10haの農地が周辺から集まった。昔からの顔がモノをいったというべきか。
「アンタなら安心」と高齢化した農家、後継者不在の経営が喜んで利用権設定に応じてくれた。「預かった以上は大事にしなければならない」。精魂込めて手入れに励んだ結果、フクハラファームの水田は「他所のとはちょっと違う」と評判が立つようになる。草取りだけではない、「稲それ自体のツヤ、輝きが異なる」となり、大規模化が着々と進んだ。
最近数年間、経営面積が微増減し続けている。別にトラブルが起きているわけではない。それどころか逆に他経営体との間で耕作地の交換等、調整が進んでいることによるものだ。「キリがいいので100ha」と答えるが、99haの年もあれば100haを上回る場合も。こうした調整ができるのは精々5〜6経営体に過ぎないが、行政やJAによる斡旋がなかなか上手くいかない状況にあっては、自ら音頭を取って働きかけるのが常だ。
その労を惜しんで文句を言うのではない。しかし「現在推進されている急速な担い手づくり、集落営農の復活が、言葉は悪いが、われわれ大規模経営にとって"邪魔"になろうとしているように思えてならない」。そろそろだれかにお願いしなければ?と考える農家から農地管理の委託があれば、それによって現に当該農地をはさむようにして耕作している経営体の"飛び石"状態が解消される可能性は大きくなる。ところがこれが集落営農のためとして持って行かれるとなるとお手上げだ。
大規模化とは単に面積の合計が増えればいいというものではない。作業効率の低い大規模化では意味も薄れる。もう少しで認定農業者に?というケースでも同様のことが起こりうる。あと水田2〜3枚で認定基準を満たせるとなるとアテにしていた飛び地間の水田がそのために回されるような事態も出てくるだろう。「決して認定農業者制度、さらには集落営農化を否定するわけでないし、大規模経営だけで地域の農業、農地を守っていけるとも思わない」。しかし事前に入念な交通整理をしないことには「飛び地だらけで複雑化するばかり」だ。
昔は米一本のフクハラファームだったが、最近では野菜のウエイトが高まろうとしており、果樹も近く本格化する計画だ。現在スタッフ10人のうち、6人が米を担当しているが、土地利用型作物だけでは「せっかく"農業をやってみたい"と志してきた若い世代が単調さに堪えきれないように思えてならない」。
野菜ならばブロッコリーが2ha、ダイコンがハウス3棟、さらにキュウリも同1棟行われており、ニンジン30haも05年から始められている。それらの大半が地元のスーパーからの要請に基づく栽培だ。
スタッフ3人の野菜部門はほぼ独立採算制。技術は「米と基本が違わないことから特に教えないし、それで足りなければ普及所に行かせる」など突き放している。給与もベースの部分は会社全体で見ても「それ以上に欲しかったら頑張れ!」と。付加価値ならぬ「付加給与は自分の手で?」が原則で、石の上にも3年。「この間は黙って見守る」つもりだ。
道路をはさんですぐそこは琵琶湖。波打つ音も聞こえる。毎年若い就農希望者がフクハラファームに集まってくるが、そのまま従業員として定着するケースもある。そこからさらに中山間ならぬ山間過疎地域での就農に飛び出していった若者もいる。経営という視点からすれば「止めるべき」とも思ったが、その意気や軒昂。「50歳の大台を超えた今、それが眩しく映った」のは若き日の自分の姿と重なったからであろうか。
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